ガラスをはさんだ内と外

明和電機」社長:土佐信道さんが、先日ブログに書かれた記事が気になっています。
デジタル機器のタッチ式インターフェース操作の話題から、ちょっと意表をつく展開で、創造主と創造物のガラス越しのキスの話。なるほど。
http://maywa.laff.jp/blog/2010/03/post-121b.html
 
ガラスの器は好き。化学実験に使うガラス器も好きです。
義務教育を受けていた頃からずっと、化学実験はきらいではありませんでした。でも、実験の最中、「あなたは粗忽で、化学実験向きではない。」と先生から言われ、図星なだけにしょんぼりしたことがあります。
 
ガラスごしのこちら側とあちら側。これまで、あまり感覚的に意識することはありませんでした。
わたしは芸術家でなく創造主にはなれないので、一般的に、たとえば芸術作品を鑑賞する行為に置き換えて考えてみました。
 
感覚や思考の回路が二次元アナログおえかきに囚われているせいで、美術品を鑑賞するときも、ただただ表層に浮かんでくるものを眼差しでスキャンしながらすくい取ろうとするばかり、のように思います。これまでの自分。
それは立体作品に対しても同じ。ただ、くるくる動き回って視点を変え、三次元立体の見え方を楽しんでいただけかも。
 
けして超えることはできない境界/膜をはさんで、(多分、感覚の触覚的な部分を最大限にはたらかせて)相対する作品制作や鑑賞手法の濃密さ。
そう言えば、むかしの知り合いで彫塑に興味があると言っていたある男性も、ちょうど「一番ステキな体で行こう!」のサビの部分の振り付け(バリバリスタイル)のような手の仕草を宙でしてみせながら、そのようなことを語ったことがありました。
 
ガラスをはさむように、断絶の両側で対峙すること。
エロティック。感性に強さと積極性がかなり必要な気がします。自分向きでないのはたしかなのですが。
これから、特に立体作品を鑑賞するときなど、意識してしまうのだろうなと思います。
 
意識的に働かせてみよう、この感覚。今までとちがった感じ方ができる予感。