擬態/mimic

水曜日。慶応大学SFCオープンリサーチフォーラムで、山中俊治先生がアレンジされたトークショー『未知の領域へ広がるデザイン』。
 
10分間でも、明和電機社長プレゼンを拝見する幸せ。(それが目的でした;)
社長は「ボイス計画」を中心にお話しされました。シンプルなスライドショー。いくつかの動画をはさんで。
2003年セーモンズから、ディンゴ、チワワ笛、WAHHAGOGO、それから・・・。これらは一点もののアートの話。
それらから派生する商品開発。オタマトーンや製品版チワワ笛。これらはマスプロダクトの話。
オタマトーンちょっとだけ演奏。ジャンボくんの尻尾くるくるサービス。
 
途中、「デザイン」が意味を拡張して使われる傾向への疑義を述べられました。
 
「デザイン」という言葉が、最近、権威づけのためのように安易に使われている印象があります。
本屋の、デザインのコーナーの背表紙を見ているだけで、うんざりしますし。
そんな違和感はあるので、なるほど?と思います。
でも、実際、土佐さんが具体的に何にひっかかってらっしゃるのか、すこし、解らない・・・。
 
零戦のかっこよさ。
明和のお父さまの会社は、飛行機の部品を製作されていたのではなかったでしたっけ?
 ひどく重要なことのような気がするのだけど、うろ覚え・・・。
(その後、社長の過去ツイートを読み返していて思い出しました。二式飛行艇でしたね。)
 
芸術家は、100年単位で、芸術史を見据えマーケティングしています。と。
 
そのあとオタマトーンを見つめ触れながら。擬態なんですけどね、これは。と独り言のように。
 
 オタマトーンやチワワ笛は、世間を欺きその本質を隠すため、かわいい玩具商品の擬態をしています。
と当方は聴き取ったのだけれど。合っていたのかしら。
 
クルクルたちは、何を隠すために擬態しているのかなー?

写真をフォトショで安易加工。
 
で、ところで。
 
社長プレゼンなかほどまでの内容を総合しますと。
・・・オタマトーンが売れなければ明和電機は倒産していた。
 
という結論が導き出せると思ったのだけれど、気のせいでしょうか。
 
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クルクルたち。気を強く持って擬態につとめなくちゃね?