同時代のメディアのなかで鑑賞者が対峙するしかない現代アート作品。
なんだか考えていくと。
現代アート鑑賞って、古典鑑賞に比べるとめんどくさいです!
選挙で各党の公約をあれこれ並べて読んでいる、のに似ている感じの、同程度のめんどくさです。
慣れていないせいでしょうか。
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そこで、そんなめんどくさがり屋の自分を。
みーはーファンという立ち位置に回収。
楽しいのがいいのっ、明和電機は。
おもしろく珍しく他にないものを見る興奮と、興奮が昇華されていく快さ。
(・・・お祭りだから。)
・・・よくできています明和電機。
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みーはー意識を頼りに世界とつながろうとする分人(by 平野啓一郎さん)を抱えることも、現代アートを鑑賞する態度の一要素。
・・・なのかもしれないそんな勘違いをおこしているのかもしれない、この頃。
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ファンでいることは楽しい。
そして、それってたぶん、全然、対等ではありません。
・・・対峙しているというより、ただ自意識に都合よい、勘違い的根性で構成。
(少なくとも当方の場合は)
ファン的立ち位置から対等を目指す方法って、あるのかな。
むつかしそう。
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鑑賞者の問題は、気にしだすと、その他わらわら湧いてくる予感;
作品をはさんで作家と対等、というのに余程あこがれているらしいです、自分。