明和電機ジャーナル創刊号では、現在のアトリエの紹介とともに、社長の、アトリエ=工場 への執着・・・思い入れが語られます。
幼少のころの想い出。おとうさまの工場の変遷。
入り浸っていたという大学の工房。その管理をする技官を勤められていたそう(たぶん、あまり語られてこなかったこと)。
明和電機になってからのアトリエ変遷。
工場への執着=量産へのこだわり。
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この春、会長と、おとうさまの工場跡地を訪ねられたのだそう。
そのころの想い出がここまでまとまって語られることは、これまであまりなかったのかもしれません。
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明和電機10周年の年、2003年のアエラ(雑誌)の記事を、以前ファンの方から読ませてもらいました。
よく取材された、長い記事です。
この記事について、社長が当時の電協ジャーナルで
「自分にとっては痛い文章だった」
と書かれていました。
いま客観的にみて、痛いというほどの内容ではなく。 意外に感じたのですが。
家族によって語られ他人によって記された家族史/自分史を示されたことが、当時の社長にとっては衝撃だったのかもしれません。
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20周年の年。明和電機ジャーナル創刊号を手に、ちょっと、感慨。
最近の社長の活動のご様子とかも思い合せて。
こう、当方のような初心者ファンが空想で感慨しても、しょうがないのですけれど;