最近、すこし“ノスタルジー”が気にかかります。
(懐古とか、あまりそういうタイプでもないのですが。ただアンティーク好きなだけで。
クワクボリョウタさんが、以前、
自分としてはノスタルジーは意図してないんだけど、結果そう受け止められてしまった。
とツイートされていて。
これは、たぶん、作品「10番目の感傷」についての言及だと思われます。
たしかにあの作品は、ノスタルジーという言葉をともなって語られることが多かったのでした。
だから、そのつぶやきが興味深くて。
(当方のセンスでは、自発的にはあまりそう感じなかったみたい。言われてみればノスタルジックかも。的な。)
そして、明和電機社長が、先日、フィラメント電球への愛着から、技術に対するノスタルジーについてツイートされていました。
その後、まるでそれに呼応するかのように、クワクボさんが
脳みその働きとしてのノスタルジーが快であるならそれは何かの報酬なのかな。何かを繋ぎとめる役割があるのかな?
とツイートされ。
そういえば、クワクボさんは最近、「懐かしさの未来」という素敵なタイトルの対談イベントでお話しされたのだそう(聴きたかった!)。
“ノスタルジー”がこのところ軽くキーワードになっているのでした。
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ちょうど、この本の
「快」と「不快」について、フロイトがどう考えていたのか。
ドゥルーズというフランスの現代哲学者が、それについてどう考察したのか。
という部分を読んでいたところでした。
ノスタルジーは、時間の流れの中で過去と現在の比較意識から生じる「無常」感からくる思いだとしたら。
ドゥルーズの「反復」と「差異」の概念とか。
フロイトの欲動論にみる、ヒトのタナトスへの傾向とか。
それらを絡めて語れるのではないかな…と頭があさーくぐるぐるするのでした。