現代アートと科学

今朝起きて、気づきました。
記憶にストックしているはずのスタンダードな曲が、脳内でベッツ色に染められていってるっ。
・・・それは、とても愉快なことなのだけれども。
 
*****
現代アートと科学(宗教とか。神秘性と機能性とか)について。
ぼんやり考えている。
手に負えないー、と、ぼんやりぼんやり。
 
*****
芸術的とみなされるものには、古来から機能性と神秘性(明和電機社長の言葉を使うと「呪術性」)の両方が必ず混在している? もしかして。
 
芸術と語られるものたちは、いつの時代にも、合理的に成り立つもの(機能?)をツールにしてきた。
そして、合理性では語りきれないものを相手にし、形にしている。
 
芸術が表出するよすがとなる世界観は、宗教による時代が長かった。
世界観の比重は、宗教から科学へ移行してきているけれど。
目的論(一種の神秘性)への傾向を基礎におき、ヒトの機能性・合理性への追求志向を動力としている点で、科学は宗教に(一般に言われている以上に)仕組みが似てるんじゃないかな?
 
ただ、科学は増大していく理系的知識の積み重ねで成り立っているから、語られる物語の質が宗教とはちがう。
だからアートも、まとう物語の質が変化していて・・・・・。
 
*****
科学からもアートからも、その現場から遠いところにいるから、あこがれるから。
それで見えるものがあったらいいなー。
当たり前のことを材料に、ハムの脳でぼんやり堂々巡りしてます。
 
*****
若い頃によく聴いたアルバム。レコードでね。

Visinda og Leyndardomur(科学と神秘)

Visinda og Leyndardomur(科学と神秘)

 
混沌としたものは、混沌としたままで・・・。