映像への警戒

若いころから「動画が苦手」という意識があります。
テレビでドラマやアニメを見るくらいは全く大丈夫なのですが。
映画館で観るようなスペクタクルな映像を見ると。思考や記憶への刺激がちょっと怖い。
 
映像は、脳をかきまわします。
もちろん、それを意図し映像の編集は行われていますし、それが娯楽へつながることも理解していますが。
 
見た映像や「映像の意図」が忘れられず、その記憶に支配されているような苦い気持ちが続くことが多いのです。
 
映像をつくる人への漠然とした不信感。
自分が見ていないものを見せられる困惑。
映像に容易にもてあそばれる自分への漫然とした不安。
 
「視覚」を、自分の手元に、コントロール下に置いておきたいという、独善的な気持ちが強いのかもしれません。
 
故に、映画をあまり見ません。
神経は大雑把な方なので、映画作品事態を否定的に思うことや、見ている間に不快感にさいなまれることは、ほとんどないのですが。
後日、顧みてから。記憶の視覚的な領域へ、あまりにも鋭く影響を受けてしまうのに、上記のような苦々しさを感じてしまう・・・。
 
映画は、同時代を生きる感動の共通認識を担う、貴重な財産だと思います。
よく知られている映画も、まず、観ていないのがすこし恥ずかしい。
かなりもったいないです。ハイ。
 
*****
こちらの本、ようやく再読が終わりました。

映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ (NHKブックス)

映像論 〈光の世紀〉から〈記憶の世紀〉へ (NHKブックス)

幅広い知識から、映像史の陰影までを照らし。
ネガティブとも思える眼差しから、突如、ふわりと不思議な飛躍を感じさせる結論への記述。
 
ヒトがスペクタクルな映像を見るようになったのは、ごく最近のこと。
当方の反応も、特に過剰なわけではないのかもしれません。
 
「映像」について、もう少し考えていきたいと思います。
(苦手なものについて考えたい、という態度が、自分にはあまりないことでおもしろいです。)