「贈与」と「商売」/日本捕鯨の記憶

中沢新一氏は、若いころから気になる。
もっとも、たまに本を手にとっても、読み通せたことはほとんどない。
その知識と思考の幅広さにつよく惹かれはするのだけど。氏の論の、知性の領域と神秘性の領域を行きかう、あまりにもハイパーで華麗な展開に、結局ついていけなくなりお手上げになってしまう。
それでも、たまに氏の本を手に取ることがあるのは。自分の「多分読んだほうがいいんだよねこの御本・・・」という嗅覚に間違いがないからだと信じたい。
 

純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)

純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)

偶然、本屋で手に取り、現在読み進めている本です。
まず、「序曲」という短文。『贈与』のもたらすエロス、対極としての『商売』の前提となるロゴス。それらについての、なぜかすごく美しい印象を残す記述。
そして最初の章:『すばらしい日本捕鯨』。
 
このふたつの文章。昨夜読んでいて夢中になってしまいました。
これは。まるで、土佐家の弟君の活動について論考した文章のようです。
 
日本の捕鯨は、海中から表象の原初をひきだす意味を持ち、日本人の技術思想のもっとも純粋な形態のひとつであること。
近世に捕鯨の技術を完成させた者たちのそもそもの由来。
 
明和電機「魚器」の成り立ちの、ナンセンスの向うにあるものの立ち上がり方とか。
信道さんの作品には、どうして武器の形態をとるものが多いのかな。とかいう素朴な疑問などが。
きれいに氷解しました。
(ここまですっきりすると、もう、詐欺だってなんだっていいです。)
 
さて、この本。その後は、伊勢神道についてや、『純粋な自然の贈与』についてのあまりにも多領域横断的な展開に、やはり苦戦しています。
そういえば中沢さん、多摩美大の芸術人類学研究所の所長さまでいらっしゃいましたね。
検索すると、「ほぼ日」に特集があるではないですか。
http://www.1101.com/nakazawa/
・・・そのうち、ちゃんと読もう。今のわたしなら追いかけることができるかもしれない。
大好きな内田樹先生との昨年のご対談など、そのうちご本にならないのかな・・・。