図式と感情

きょう、ちょっとかじるように読んだ素人向け哲学の教科書中、美に関するカントの思想を説明する項に
「感性的直感(アプリオリな)」と「悟性(認識を行う能力)」を結びつける「判断力」に、「構想力」が「図式」という能力を提供する。
というような記述がありました。「構想力」は知性以前の、より生命に密着した知であり、
「図式」とは、直感と悟性の両方の性格を持ち、言語的認識以前の能力で、図像的な認識形式の性格を持つ
のだそうです。
 
これを読んでいて、先日の社長ブログの記述がリンクしました。
http://maywa.laff.jp/blog/2010/05/post-0598.html 
つまり、社長はカントのいうところの「図式」の能力を、自らのものとしてスケッチ中に深く認識された、ということなのかな。
 
それが悟性で明瞭にイメージされ、直ちにペンを持つ手に直結しているのか。すごいなー!
 
ややこしくて難しいけれど、カントが深く内省して辿りついた論考の流れが好きです。
(正確には、専門家がそれをわかりやすくまとめて提示してくれた図を、鑑賞するように積読するのが好きです。)
地味で合理的。でも、「有機体」の想念内にあちこち咲いている小さな花を、拾い集めているみたい。

著者の真摯さがあふれている教科書です。
 
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で。哲学を離れ、自分の感情的な問題のほう。
 
わたしは、「お兄ちゃん」(わたしのほうが年齢的におねーさんだけど)を気持ちのうえで追いかけていたいし。
「お兄ちゃん」には「明和電機」を見守る位置に居てほしい。
・・・何よりも、「お兄ちゃん」に自分が見守られていたいのです。( <− 何を言っているのか、自分でもよくわからない(TT)。)
幼稚な現状認識・思考・発想しかできない、ファン初心者です。安易な立ち位置で、よろよろ想像するしかない・・・。