鬱について。あるいは感情のトリガーとセンサー

父は、若い頃はそれなりに快活な青年だったのではないかと思います。当時の写真からの想像ですが。
 
わたしがものごころついたころから、父は、静かで、感情を抑えようとしている人でした。
多分、すでに軽い鬱を病んでいたのだと思います。
 
進学や就職で姉とわたしが続けて家を出てから、父は本格的に鬱病を発症しました。試される薬も電気ショック療法も効果なく、むしろ父の病に悪い影響を与えたようでした。
その後は四半世紀以上にわたって精神科への入退院を繰り返し、今は何年も病院に入ったきりです。
母が一人で父を支え、世話をしてきました。おかげで父は長生きしてます。ありがたいことです。
年に数回だけ帰省し、父が入院している病院へ面会に行きます。わたしを娘と認識してくれることは、この3年間、ないのですが。
 
高校生の頃、父との関係を若干損ない、それをうまく修復できませんでした。
悪くなっていく鬱を抱えていたおとうさん。なんとかする努力ができたはずなのは、わたしのほう。
当時は思い至りませんでした。
 
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わたしは、完全なO型気質。大雑把で、強いて良く言えばおおらかなほうです。
 
でも、一度だけ、「これは、自分、鬱状態だ。」と自覚したことがあります。阪神淡路大震災から半年くらいの間。当時、大阪で一人暮らしをしていました。
となり街の壊滅的な被害。災害絡みの業務量増加。
・・・少し感情が鈍くなるくらいはごく一般的な反応。当時も客観的に認識していました。
(ちなみに鬱から抜け出す頃、それまでの信条をどこかに置き忘れ、婚約してしまいました。) 
 
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「欝病」は。例えれば。
感情を動かすトリガーが停止し、ネガティブ・スイッチは入ったまま、他の感情のセンサーが働かなくなっている状態のこと。
 
思えば歳を重ねる毎、わたしのトリガーも動きが鈍くなり、センサーの感度も落ちてきたかも。子供がいないことも影響しているのかな。
自然とそうなったというより、いつの間にかそういう鈍さを、自ら漠然と目指したような気がします。(ちゃんとした、つまらない大人になるために?)
 
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この絵。
社長は「笑いのトリガー」の機構イメージとして描かれているのですが。
初めてWEBで見たとき、それだけでなく、感情全体の「トリガー」と「センサー」も表してる、と勝手に意味をすり替えました。
 
ボールをコロコロよく転がして。そのためにきれいな球体を保って。ぱんぱん跳ね返っては、感情のセンサーにぶつかってスイッチを ON/OFF しよう。
 
ボールを2個にしてみようか? トリガーがぶつかったセンサーは、音をたてたり光ったりするかも? センサーの数をもっと増やせないかな? センサーを感情の種類別に色分けちゃったりして?
ボックスの底は滑らかに磨いて。でも、ボールが飛び出てしまったら、大変!
 
そんなこんなで、この絵がほしくなったのです。頭でっかちな感傷ですみません。
(実はすでに何ヶ月も前に、WEB上の解像度のいい図ファイルをDLして家のプリンターで出力したり、プラマン模写したりしています;)
 
WAHHA GOGO 開発スケッチ
番号:waha_sk_028
http://www.maywadenki.com/sketchbook/waha_sk_028/
 
ファンになってから。そして、これまでの来し方を、あれこれ想像しながら。
かつて好きだったものや、自分の本来の性向を思い出し。気づいていなかったことに気づかされ。新しい世界へ眼を開き。
感情を動かしていたいと思いました。
 
・・・「明和電機」さまさまです。