可想界夢想1

幅広い活動をされている現代音楽家ヲノサトルさん。
つまり、われらが明和電機経理のヲノさん」その人でいらっしゃいますが。
わたしはこの方の Twitter の熱心なフォロワーの一人だと自負してます( 小声;)。
先日から作曲活動が佳境でいらっしゃったようです。
 
 同時に3つのPCを開いて3つの作曲作業を行いたいけれど。
 音は同時に鳴らせないから無理です。
 
というようなことをつぶやいていらっしゃいました。
・・・3曲同時聴き取りフィードバック作業は、聖徳太子でもお釈迦様でも無理だと思われます多分。 
同時PC実作業は無理として、それらのつぶやきから、ヲノさんが作曲作業を3本、濃密に平行して同時進行されていることがうかがい知れ、興味深く思いました。
 
ヲノさんの頭の中では、それぞれの曲につき、3つの時間軸が仮想され。
それらの時間軸に沿い、それぞれリズムや音色や旋律や音の空間的配置が構成され。可塑的にアイデアが積まれ。
それらの脳内活動が、3曲分平行して行われているのだなー。
と想像。
 
でも、それらを押し出すべき実世界では、淡々と非情に流れる時間軸に沿ってしか音楽は存在しえない。音に対するヒトのセンサーも認識も、音を載せる実時間の流れに支配されている。
再生はどうしても一曲ずつ。
作曲活動におけるリアル結果からのフィードバック作業って、時間がかかって大変だー。
 
この点。
絵は、時系列上に点として存在する静止画像イメージからフィードバックしていくので。時間的に有利です。
作業時間は切り刻まれますが、複数の創作についてリアルに同時進行できると言ってもいいでしょう。
わたしのお師匠様(抽象小品中心)は、いつも平行して何枚もの絵へ筆をいれています。
 
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先日読んだ「人間はガジェットではない」の著者:ジャロン・ラニアー氏が、氏の専門であるバーチャルリアリティについて、リアルなご意見を述べられているのを読み。
その影響もあったのでしょうか。
ヒトの感覚と、カント「実践理性批判」にもつながるような、直感を統合して認識する仕組みについて、あれこれゆるゆると思いをめぐらせました。
・・・今朝、お風呂で湯船につかりながら。
 
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ヒトの五感は。
外界からの刺激によって生体内で発生する微小化学反応。それがトリガーとなり発された信号が届いて脳が反応し、認識へつながる仕組みであると理解しています。分子生物学や生化学分野での最近の成果からは。
 
きっと、単細胞だった時代から。
外界からの刺激をどう把握するか。その仕組みを構築し、センサーの感度を上げる進化の方向へ、生物は一生懸命だったに違いありません。
そこで淘汰されないことには、生きのびていけないですから。
 
もし五感がなく、あらゆるセンサーが無感覚であれば。
あるいは、刺激が皆無の世界にいたら。
空間も時間も認識されることを受け付けない、真っ暗闇の世界。完全な無。
 
触覚・味覚・嗅覚・視覚・聴覚。
暗闇から感覚が立ち上がる気配を想像してみる。
・・・ついこの間は、分裂していくことを夢見るたったひとつの細胞だった。
その頃からのこと。
 
 僕らの世界に、光あれ。
 
あまねく照らしだす光でも。
一点先だけを照らす、かそけき光でも。
 
それは世界からの祝福であると思う。
 
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自分の経験からの印象に拠りますが。
理性的に意識される空間認識は、視覚に多くを依存しています。
一方、時間認識の能力は、聴覚に拠る割合が多いように思います。
 
他の感覚は、センサーの解像度レベルで時間が止まるまで時系列情報を微分しても、容易に想像したり思い出したりできるけれど。
聴覚は、難しいかな。
 
特に音楽にとって必須である旋律の認識は。当たり前ですけど時間微分が無理。その全てを時間の流れに支配されています。
 
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で、そんな風に堂々巡りして湯船のなかで達した結論。
 
作曲家や映像作家さんの時間構成構想レベル。
常人には想像つきません。すごいなー。
ほとんど時間そのものがクリエイティブの対象。
彼らの脳内では、思考が実時間の制限から解き放たれ。
多階層的にどんなことが起こっているのでしょう!