大きなものと崇高

らくがき楽しい。
ちいさめのスケッチブック、買わなきゃ。
硬めの鉛筆でがしがしかくなら、やっぱりケント紙。
クロッキー用のも。どこででもかきやすいように、厚い表紙付きの。(ちいさなちゃぶ台やPCラック前でのらくがきが多いので。
 

鉛筆スケッチ。PCで調整後、反転。
 
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若いころに行った旅行で。ヨーロッパの壮大かつ壮麗な教会建築や宮殿などをいくつか見ました。
あれら。見上げると驚愕で口が開きます。
でも、それらの圧倒的なイメージに取り込まれないよう、自分の意識は反射的に抵抗していたようです。
そのときの感覚を、驚くほど覚えていません。希釈されてる印象・記憶。
 
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カントは、「判断力批判」のなかで、端的に大きなものを崇高と呼ぶ、と言っているそう。(=数学的崇高)
わたしたちのなかの構想力が量の把握を挫折し、その能力の限界を知るとき。この近づきにくさそのものを目的とするため、理性が超感性的に魂の拡大を求める・・・。
というようなことを。(多分ことば足らず)
 
(この説明においてカントの想定は、自然界へ対して感じる美に対してのようです。
 
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小さなものが好き。
それは躊躇なく言えるけれど。
 
当方、崇高さを感じるものに対峙するとき、理性が用心したり卑屈になったりする傾向があったのかもしれません。