日本辺境論

一昨年秋に出たこの新書を読み返しています。

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

 
日本は、古来から中華文化圏の遥か辺境にある。というもっともな前提から始まるご本。
当方には、日本人を俯瞰的に捉えることができるほどの知の背景も広い視野もありませんが。
内田先生のご本を読んで、そうだろうなー、と容易に説得されてしまう安易な幸せ。
 
そのなか、日本人の宗教性について展開していく章を読んでいると。
途中、「道」と「信」の二つの漢字が続けて出てきて、あれ、と気になりました(笑)。
かいつまんで抜き出すと・・・。
 
どこか遠い彼方に卓絶した境位があるとして其処を目指す手法。日本人はこのように技術的・人間的資質の開発プログラムを「道」として体系化してきた( <− 辺境の民だから)。
この「道」の概念は、「成就する」概念と整合せず、おのれの未熟・未完成を正当化する面も持っているため、普遍的な宗教的深度に至るための絶対的「信」の成立の妨げになる。
 
というような内容で。
この後、そのソリューションとしてこの章のテーマである「機」の思想が登場し、「他者との出会い」や、「学び」における「先駆性」についての記述に続きます。
 
よく理解できない部分も多いのですが。
ただ二つの漢字から、一気に興味深く、明和電機的に読んでしまうのをお許しくださいー。
(何が「明和電機的」なのか、説明できませんけれど(^^;)。)