骨董市で

一昨日、日曜日。
東京フォーラムで月に一回開催されている大江戸骨董市へ行ってきました。
 
若いころは、ハイセンスな雑貨屋さんへ行こうものなら、欲しいものだらけでお店から出られない感じでしたが。
今は、お店へいって衝動買い的に物欲が高まること、滅多になくなりました。
 
でも、骨董市だけは、脳内物欲飽和状態を容易に体験できます。
 
目つき鋭いうさんくさいおばさんになって。彷徨うように会場を何周かして。
 
幕末〜明治のお皿を、普段使いするために数枚買いました。
 
それから、こちらが見逃せず、購入してしまいました。

使うあてないのに。しかも、某イベントで売れ残った小瓶がたくさんあるのにw
戦前の小さな小さなガラス瓶3種。
 

拡大。気泡がたくさん入っていまにもはかなくなってしまいそうな用途不明の瓶。
 
骨董市では、旧いガラス瓶がたくさん売られています。科学実験用のガラス器なども。
 ジョイフル明和の展示物用意に向け、インビトロな妄想をたくさんしたせい、きっと。
それらがひとつずつ当方に向かってきらめきながら語りかけてきて、素通りするのが大変でした。
 
 何を入れてきたのでしょうね。
 どんな人の視線が、このガラスの境界を通過してきたのでしょうね。
 
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現在の作家を支えるために。現在つくられているモノを買わなくちゃ。
という考えも理解できるし大切なことですが。
 
旧いものは、広く売られたお皿にしろ、当時の無名の職人さんの手がとてもかかっていて。
その手間と美しさに比べると、幕末〜戦前のものはリーズナブルな価格。
どうしても欲しくなってしまうのです…。
 
明治の小皿などは、汚れたままどさっと商品を置いているような店で。
座り込んで好みに合いそうな柄のものを一つずつ吟味して。
選んで。お店の人とやりとりして。
 
持って帰ってきれいに洗う!
 
のが、これがまたたのしいのですよねー。
 
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昨日のらくがき。

プラマンでさらっとかきとめられないかな、と試みたのですが全然ダメだたので。
鉛筆で影をつけ、さらにフォトショで筆致を荒らして色相等調整して色数をごく少なくするなどしています(無駄なあらがい…)。