美大へのあこがれ

幼少のころから中学2年ころまで、自分は美術の学校へ行くものと思い込んでいました。
 
けれど、美術の大学へ進学する夢は、高校受験を具体的に考えるころ、取り下げました。
卒業したその先を、田舎の中学生の頭では想像することができませんでしたし(絵の先生? 工業製品のデザイナー?)。
そして、自分はただのお絵かき好きであること、自分のなかに表現とか作品つくりへのこだわりはないこと、真面目に志向すれば絵を描くこと自体がかなり辛くなる状況が予想されることなど、そろそろ冷静に気づいていました。なんと可愛げない。
別口で働いて。絵は独り自由に楽しく描こう。それが「ラク」だろう。
 
高卒で職を得て以来、思えば、そのころ考えたことを、実にきちんと継続しています。・・・人生のハードル、かなり、低めでした。
それは、上手/下手を超越して向上心なく、スタイルもオリジナリティも関係ない、おきらくらくがきおえかきのある生活。
 
でも、若い頃は心の底で、美術を専攻し勉強している同世代の人たちを、羨望、と言っていいほどうらやましく思っていました。
二十歳前後、職場の研修で関東へ。美大のある街の駅近くなどでポートフォリオを抱えた学生を見かけると、まぶしくて眼がくらみそうでした。ホントに。
 
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さて。最近になり、その「美大」への羨望がよみがえってきてます。
言うまでもなく、自分のハムスター(のような単純な)脳と「明和電機」のせいですね。
美大のホームページを開いて、学部やカリキュラム内容を見ていると、もんもんとします。
最近、はまったのは、多摩美のサイト。
美大って、好きなことばかり選択して体験できる、楽しいテーマパークですねっ。まるでっ。
こんな楽しそうなところへ若いときに行って、その後の自分の進路を見極め社会性を育てるなんて、絶対にできなかったわー。
 
・・・自分の選択は正しかった、と結論できるのです。正直。
 
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以上、「美大」についての複雑な思いを、夫に告白してみました。
 
夫:「そもそもさ。美大ってそんなに必要なの? 需要と供給の関係で、芸術を専攻した人がそれほど世の中に必要とされているとは思えないな。」
そっちかい!
 まー。需要と供給の関係で行くと。
 美術芸術方面へ進みたい若者が多いから、美大は経済的に成り立っているのでしょう。
夫、納得。
 志向する若者が多いのは、芸術は「自由」そうだから? 好きなことに専念できそうだから?
ここで思い出すのは、「明和電機」社長の名言つぶやき:

「働きたくない。自由でいたい。」という理由で、アートを選択する人がいるが、アートで自由を獲得するには、メチャクチャ働かないと、いかんのだよ。

関連ブログ:
http://maywa.laff.jp/blog/2010/03/post-0783.html
社長のこんな発言が、ちょっと前にとても話題になったのよー、と教えてあげたら、夫は喜んでくれました。
「自分に興味のあるコトだけして体よく続けられると思っている研究者にも言ってやりたいよ。」
 
・・・わが夫ながら、political思考極まりないです、この人。