視線について1:舞台「エレファント・マン」

10年前、眼から鱗が落ちるように、観劇のおもしろさに目覚めたことがあります。
きっかけは、「エレファント・マン」という舞台を観たことでした。
映画にもなった、実話を基にする有名な舞台です。
異様な風貌・容姿で生まれつき、「エレファント・マン」と呼ばれ、自らを見世物とすることで生きてきたジョン。
医師の保護に置かれた後は、上流階級の人たちの好奇と偽善の対象となります。
この本のテーマは。視線にさらされることの否定。見る行為の不善・罪。
主人公エレファント・マンを、人気のある若くて美しい俳優が裸身で演じることで、「観客」「舞台上の俳優」「ファン」「芸能人」の関係も入れ子で見せる、複雑な構造を持った舞台でした。
わたしは、主人公を演じた藤原竜也さんのファン。当時は特に夢中でした。
その舞台の客席で、「罪の意識」と「構造を理解するための理性」と「純粋な感動」がめまぐるしく頭の中で回転しながら観劇する、という珍しい体験をしたのでした。
 
脚本を翻訳された山崎正和氏が、パンフレットのなかで、「見る」行為の二面性(愛情と、攻撃)について述べられています。
視線のこちら側とあちら側。その構造。
 
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明和電機ボイス計画宣言展「社長設計室」で体験したものは何だったのだろう。
現場に行って拝見した一回だけではなく、家にいても、ファンの方が配信してくれる動画から眼が離せませんでした。
今でも繰り返し思い出します。
 
スケッチを始める前、机の前に立った土佐さんが周りを一瞥する強い視線。その後、社長はちらりとも観客を見ず、スケッチに専念されました。
それから、わたしたちの遠慮しようのない剥き出しの視線。
なんだったのだろう。あの場。あの感覚。
 
あれこれ考えていた視線、の問題に絡みつくように、ふとよみがえってきたのが上記舞台の記憶です。
 
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夏の楽器製作ワークショップ。
抑止力はたらいてよかった。参加者年齢幅をばんと広げるところでした。それも一興だろうけど(笑)。
 
工作のワークショップ・・・。
もし、会長が講師をつとめられるものが企画されたなら、今度は我慢しません。ぜひ参加したいです。
 
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社長、きょうから四川なのですね。
四川は、とても遠いイメージ。パンダ。辛い料理。2年前の大地震・・・・。