声と情報と死者と

明和電機プレゼンツ「ストレンジボイス 〜奇妙な声の実験室〜」。
いよいよ明日です。
それにしても、他に例をみない謎な企画ですー。
 
昨夜の植木等ボーカロイドから始まる一連の社長ツィートを読んでいると。
脳ミソがハイパーに分解していくような心持になりました。朝からっ。
クエスチョンマークも、ぱたぱたぱたぱた。
 
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もともと生のないボカロが死を内在する、と語りえるかな。
ただの情報と。生きている者のなかでしか芽生えない意識と。
それらが美や呪術に関わる問題であるとすれば。
それらの術にかかる/かからないは、個人的な事象なのに。
あるいは「勘違い」にしかすぎないのに。
 
(あ。違った。美や呪術は個人的な事象じゃ全然ない・・・。
 
当方は、明和電機社長の声が比較的かなり気になります。魅かれるお声です。
で、社長が亡くなったとして(殺さないでー;)、そのお声をボーカロイドとして聴きたいと思えるかな。
自ら電子的に加工し無理やりしゃべらせたいかな。
あるいは他人が加工したそれらを聴く気になれるかな。
 
死の受け止め方は、これからも時代ごとに変化していくのは必須。
だけど、それらはデジタル情報の上で踊るだろうか。
 
(あー。多分、わたしはずれている。それだけは解る。
 
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昔ジホッチという製品を作ったとき、声優さんに時報パターンを吹き込んでもらい、プログラムで声の時報を再現した。あとで、しまった、親父の声も、とっとけばよかったな、と残念に思った。そうすれば今も親父は時報をつぶやき続けてた。 社長つぶやき@Twitter 2011/07/24

 
そういうことをつぶやかれるのが。眩暈がするほど複雑な事象に思えてしまうのです。
デジタル情報の上で今後音声や映像が云々・・・より。複雑で、だからこの方は、「明和電機」は・・・(以下省略。
 
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以下はたんなる独言です。
ボカロにしなくても。情報として残さなくても。
故人の声。て。
聴くことができます。聞こえます。
「困ります、ファイマンさん」でも触れられていますが。
霊の問題でも脳ミソの問題でもどちらでもいい・・・・。
多分、誰でも経験し知っていること。耳を澄ましさえすれば。