【つくる】

明和電機社長ツイートログ仕分け・抽出・並び替えの検討作業。第五弾。
基本的に、今年11月16日までのツイートで構成しています。
 

  • つくる

 よし。ヒラいた。自分って天才。この瞬間がたまに来るから、モノ作りが止められない
 
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 設計とは、壊れないものを作ることではなく、どこが壊れるか見抜くことだと思う。
 
 太陽が沈むまでに、設計を終わらせたい。・・・・ん?電灯がない時代は、ふつうにエンジニアはそう思ってたかも。
 
 さて、作るか。
 
 やるべき作業を、まず、目に見える形にすること。意識できてない作業は、片付けられない。
 
 開発で行き詰まった。こんなときは、あの必殺技である。「手当たり次第やる」。
 
 調べたつもりですっ飛ばしてる場所に、ヒントがあったりする。
 
 手当たり次第に機構を試していたら、「お。いけるかも」、にぶつかった。一度、紙とペンで整理してみる。いける気がする。
 
 あかん。スケッチで機構を考える限界にきた。明日アトリエで試作しよ。
 
 毎日、作業がうまくいくとは限らない。今日は負け日でした。しっかり休んで、明日こそ。
 
 全体が組み合がってから見えてくる作業がある。はやくそこまで、いかないと。
 
 橋は、どんなに絢爛豪華に作ろうとも、1ミリの隙間によって両岸をつないでなければ、橋ではない。(作業で大切なことは、まずはつなぐこと!
  
 時間がない!考えろ!思考実験で、実作業を減らそう。
 
 マストが折れたら、オールを削って作りなおせ。それが太平洋のど真ん中にいる、ということだ。
 
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 さて。アクリルを削りますか。完成すると信じれば、完成する。技術よりもーーーー気合いだ!
 
 ひさしぶりに、電動丸ノコで、厚さ8ミリのアクリル板を切った。なんどやってもこえええええ。でもびびったら、ケガをするので、気合です。気合!
 
 怪我しないと「モノ作り」はうまくなるわけがない。だって哺乳類が金属を削るんだよ。
 でも最近の学校の技術教育は、「ケガをしないために、工具にさわってはいけません」なんだって。アホか!!「ケガをしない工具の使い方」を教えろ!
 工具はね、怖いもんなんです。僕も毎回ビビリながら使ってます。それが本質。恐怖をイマジネーションできないから、工具でケガをするんです。
 PC作業で失敗しても「やり直し(UNDO)」がきくけど、工作機械で指を飛ばしても「UNDO」がきかない。
 
 バンドソーの刃が、親指の爪の真ん中まで食い込んだときは、さすがの僕でも、あせりました。(・・・いかん!この流れは、昨日と同じだ!)
  
 フライス盤を操作すると、身が引き締まる。
 僕にとってフライス盤は、情熱をデカルト空間の理性で締め上げる、SMの鞭のような工作機械。
 まちがえた。締め上げるのは情熱ではなく、情念。
 
 フライス盤まわして、アルミとABS樹脂削って、ジグソーで切断して、図面引いて、ヤスリかけたら一日が終わりました。
 
 サーフェーサー乾燥中。サーフェーサーとは、女子でいうところの、ファンデーション。猛毒なので、顔には吹けません。
 
 今日は切削作業でアルミの粉と、切削オイルまみれ。さあ、シャワーだ!人間洗車だ!
 
 胃が満ちて、心が飢えてるとき、いいものが作れる。その反対、胃が飢えて、心が満ちていると、いいものは作れない。体も工具のひとつだから。
 
 めっちゃ健康でないと宇宙飛行士は月へ行けない。クリエーターの制作も同じ。
 
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 「ふつうのモノ」を作ってしまうことは、僕にとって最大の屈辱である
 
 できるだけくだらないものを正確に作ろう。
 
 現実からの制約は厳しい。でも、その現実をイメージでねじ伏せることをしなければ、面白いものは作れない。
 
 ふと、冷静になると、オレって、気が狂った、おかしなモノ、作り続けてるな。
 
 自分の中にはたしかにある。しかし世間を見渡すとそれがない。そのズレを埋めたい。これが僕がモノを作る動機。
 
 僕が機械にこだわるのは、自分の中にドカンとある情念や非論理性を、機械が持つ論理性が矯正してくれることを期待しているから。工学的な動機とはちがう。
 
 次は何を作ろっかな!とワクワクし続けて20年がたつ。たぶん死ぬまでこんな感じなんだろうな。というか、「ワクワク」と「生きること」とは、まったく同じ意味だな、自分にとって。
 
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 「オモチャ作り」が僕にとっておもしろいのは、そこに「過去」の技術の再発見という歴史的視点と、「今、ウケなきゃいけない」という、「現在」の風俗的視点がぶつかるからである。ひとことでいえば、「興業的工業」のおもしろさ。
 大人になってうれしいことは、オモチャを自分で作れるようになったことだ。うらやましいだろー、子供たちよ。
 
 昨年南アフリカにいったとき、ジュース缶で作ったオモチャや楽器がたくさん売られていた。戦後日本も進駐軍が捨てた空き缶で自動車のオモチャをつくり、それが海外で評判となって売れ、日本のオモチャ産業復興の基盤となったそうだ。
 
 自分が一番欲しいオモチャを自分で作って、それで遊んで、気がつけばもうすぐ20年かー。
 20年も遊び続けると、さすがにオモチャ箱のサイズが半端ない。
 
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 今日はスカルピーをこねくって1日が終わった。
 
 今日も新商品の原型制作作業。削って、磨く。手になじむまで。
 はやく乾け! タミヤパテ!
 ボクの指は、作業で汚れてる。でも、クッキーをつまんで食うのだ。
 塗装を乾かすのにライト当ててたら、コゲたよ・・・・。ぎゃー。
 さあ、いよいよ耐水ペーパーで水研ぎだ。仕上げるぞ。 
 
 まずは手を動かしてモノを作れ!と言いたい。試作機を使うのは、そのあとの話。
 ケータイ産業のような、モデルチェンジが激しく、かつ膨大な量を生産する工業製品なら、制作過程で試作機は必須だけれど、じっくりとモノ作りを学ぶべき学生が、やすりの使い方も知らず、いきなり魔法の機械に触るべきではない。
 
 削って削って、削りまくれ。
  
 モノ作りはストレス発散にもってこいである。なぜなら「程度」というものを感じ、自分と社会のバランスがわかるから。思考だけではその「程度」は計りにくい。
 
 製品を作っていて一番しんどいのは、80%できて、残り20%のとき。そこそこ部品もそろってきたのに、完成像がまだ見えないから。例えると、「あともう少し峠を登れば海が見える。潮の匂いも、波のも聞こえる。けれどここは頂上じゃないから海は見えない」という感じ。
 
 すごく気になる小さな汚れも、全体感が決まれば、気にならなくなる
 
 モノを作ることと、モノを作り続けることは、大きく違う。前者は先生に教えてもらえるが、後者は経験で体得するしかない。
 
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 今回は日本が壊れた。でも壊れたら治すのがエンジニアだ。さらにもっといいものを作り出すのがエンジニア魂だ。
 
 原発を見るたびに、僕は親父の世代のエンジニアたちに対面してる気がする。良くも悪くも彼らの技術がこれまでの日本を支えてきたのは事実。つまり、これからは、僕らの世代が日本を支えるエンジニアリングを作らなあかんということだ。
 
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 鉄塔ってぜんぶ鉄でよくできてるなあ。
 男と生まれたからには、一度は鉄塔を立ててみたい。
 今、目の前でおっちゃんたちが鉄橋を作ってるんだけど、でっかいボルトを手で絞めてる。規則正しく、素早く、黙々と。・・・あかん、 涙が出そう。
 あれって全部、手で締めてたのか。
 これからは建造物のでっかいボルト見るたびに敬礼しよ。心のなかで。
 
 機関と書いてからくり。エンジニアは機関師か。かっこいいなー。
 システムエンジニアは 「体系機関師」か。かっこええなあ〜。
 
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 危篤状態の父親がベッドの上で眠りながら何かこねるように指をムニュムニュ動かしてたのは、たぶん頭の中でなんか作ってたんだと思う。
 
 むかしの自分の設計にダメ出し。
 経験を積み重ねることで渋くなるのではなく、経験を爆発的な新規性の燃料にする。
 モーターやネジなど、機械を構成する部品は各社相当の耐久試験をしている。それが壊れるというのは、まったく無理矢理な設計を自分がしているということだ。「ネジの一本から知れ」と父親が言ってたことの意味が最近やっとわかってきた。
 
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 新作、機構のアイデアが決定しない。頭の中はボツになったマシンの残骸だらけ。こやしだ。芽がでるだろ。
 
 ものつくりの作業プロセスで一番しんどいのは70%から80%できあがったときだ。なぜなら完成のゴールは見えたのに、なかなか前に進まないからだ。
 
 僕には「いいアイデアが浮かぶにちがいない」という根拠のない自信がある。でもこれを持っているおかげで、作業で迷っても道で迷うことがない。
 
 一日中フル回転してささくれたった頭と体をビールで冷却。トルクのあがった仕事ができるようになるとビールもおいしくなる。最近わかった40代。
 
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 機構がヒラメいた。試作してみよう。


バフかけする社長。なぜかバリバリモード。