明和電機社長ツイートログ仕分け・抽出・並び替えの検討作業。第六弾。
基本的に、今年11月16日までのツイートで構成しています。
ツイート小説のためのオープンソース材料(一段階目)にならないかしら。と、ログをざっくり読みながらのコピペ作業でまとめています。
(当方は楽しいのだけれど。構わないかしら、礼を逸することになってないかしら。若干、不安。)
新しい航海に出発したいなら、「思い出」は、港に置いて行け。船にそんなものを乗せる余裕はない。なぜなら、「新しい思い出」を積んで帰るから。
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幼稚園のとき、プラモデルを作るために「出刃包丁」を使い、ざっくり指を切った。あんなむちゃ、大人はしない。よかった。大人になって。
むかしロンパールームという幼児番組で、子ども達みんなが黙って牛乳を飲むコーナーがあった。・・・・なんだったんだあれは?アメリカの戦略か?
幼稚園のときポケットティッシュだと思って姉のナプキンを持っていって先生にあらあらと言われた。
初めて自転車に乗れたとき。ブレーキのかけ方がわからず、ユーカリの木立に突っ込んだ。
最近、和式トイレでソリッドやリキッドをアウトプットできない子供が増えてるらしいが、僕が子供のときは逆で、初めての様式トイレは馴染めず、便座の上にのっかてソリッドをアウトプットした。
そういや小学生のとき、錬金術にはまって、下校の時、本気で「賢者の石」が落ちてないか、捜しまくってた。
小学生のとき、キャンディキャンディのファンクラブに入っていた。シールを集め、マッチ箱で作った小さなタンスにキャラ別に分類していた。
電人ザボーガーには小学校の切ない思い出が。アオシマの五体合体ザボーガー(1体100円)が欲しくて母親のサイフから100円玉を盗み、しかも家族の前で「あ!タンスの下で100円発見!ラッキー!」とアリバイ作ってプラモ屋へ。さすがに5回繰り返した時点でバレて怒られた。アホだ。
小さいころ母親に「モノをきちんと直角に置いてかたづけないさい」と言われので、床にちらばっていたものを、すべて直角に並べなおしたら、怒られた。
小さいころ、姉に「アリのおしりは、甘いんやで」と言われ、未開民族みたいに黒アリのしっぽをかみちぎってた時期があった。たしかに甘かった・・・気がする
蟻のおしりを噛むと「甘い」という人と、「酸っぱい」という人が。そもそも噛んでいいん?
ちいさい頃、お風呂で男女の凸と凹を見て、「まさかあの二つがピッタリはまるほど、人間って単純なわけないよな」と思っていたのに、後ほどいたって単純なことを知って、驚愕&がっかりした覚えがある。
なのでプラトンが昔は性別は四つあったと書いてて、それぐらいないとと思った。
昔、「野生の王国」というテレビ番組が好きだった。今思えば騒がしいタレントもクイズもない、ストイックな動物番組だったなあ。民放で。
小学生のころ、夜10時から始まる「鶴光のオールナイトニッポン」を聞きたくて、夜更かししていたが、とにかく睡魔がおそってきて困った。そんなとき兄ちゃんが「のんちゅん。蛍光灯を瞬きしないで見続けろ」と言った。みなさん、おためしあれ。効くよ。
小学生のとき台風の床上浸水で体育館に避難し自衛隊のみなさんの握ったおにぎりを食べた。水が引いたあと家に戻ると、ほりごたつの中で夏に食べたスイカのタネが緑の芽を出してた。なんか元気出た。
うちのおばあちゃんのもうひとつの口ぐせが「なーしたまー」だった。赤穂弁で「なんてことだ」。人生は「なーしたまー」と「ありがたい」の往復なのかも。
小学校のとき、僕の鬼ごっこはちちょっと変わっていた。自分が鬼になったら、追いかけるターゲットをひとりに絞り、ひたすらそいつだけを追いかけた。あとの友人たちは無視。恐怖で泣きながら逃げてた。ターゲットは。
小学校のとき、一時間目の図工で粘土があり、楽しくて休み時間もやってたら「片付けないなら1日やってなさい!」と先生に怒られた。で、ほんとに1日やった。一緒に怒られた山下くんは途中、油粘土の匂いでギブアップしたが、僕はほんとに1日こねた。
小学校5年生のとき口裂け女が大流行。そのとき僕は学級新聞委員だったので口裂け女特集をやった。もし出会ったときの退治方法を看護婦の姉に聞いたところ、「人間の弱点は首の延髄。そこを叩くしかないね」と、マジ顔で言われたので、そのまま掲載した。
小学校のころ、1日1000個、テレビのボリュームのボリューム作りをやらされた。とてもつらい作業だったが、今となっては、本当に貴重な経験だった。
小学校の京都への修学旅行。おみやげにミクロマンを買ってしまった。自分用に。それを思い出した。ミュンヘンのフライングブイ。
中学のとき、家にビデオデッキがやってきた。僕はシブガキ隊の「ナイナイ・セブンティーン」の振り付けをスロー再生で習得。全校生徒が見る中、朝礼台の上で踊った。ああ、思春期の引きこもりをやっと抜けたと思った。サンキュー、ビデオデッキ。
ひさしぶりに飯島真理を聞くと、なんか取り返しのつかない甘酸っぱい気分になる。中学生のときに聞いた音楽の思い出ってスゴイ。
中学生のとき、流星を見ようぜって友達と夜の中学校に忍び込んで、運動場の真ん中に寝転んで一晩じゅう夜空を見てたことがある。東京の今の夜空を見て思い出した。
高校の卒業文集を開いたら、自分の高校三年間の思い出の言葉が、「薄汚れた楽譜とスケッチブック」だった。・・・・・・・さっむううう!!お前は山田かまちか!!
高校時代の恥ずかしネタその2〜 組んでたバンドの名前が「美助人(ビスケット)」だった。ああ・・・・
高校時代の恥ずかしネタその3〜 美助人で演奏した最初の曲 「中森明菜 1/2の神話」。・・・・なぜその選曲?
薄汚れた楽譜と、スケッチブック、なう。
むかしは駅に「黒板の大きな伝言板」があったなあ。みーんな液晶の小さな画面の伝言板になっちゃった。
むかし、勉強してたら窓の外から「シャコっシャコっ」と音がする。なんだ?と思いのぞくと、麦わら帽子にタンクトップにパンツ一丁のおばさんが、はだしの両足にコンビニ袋を履いて歩いてた。真夏の白昼夢かと思った。
筑波大の孤独感は「絶対的孤独」で、月面基地のようだった。東京の「相対的孤独」とは違う。あの孤独に耐えられなくて死に向かう人もいたが、僕は内面にダイビングでき、表現者としての核を見つけた。
そういえば初音ミクを最初に触ったとき、YAMAHAのミュージックコンポーザーを思い出したなあ・・・。あの触感がYAMAHAイズムなのかも。
自分のコスプレ歴が17年であることに、ビビった。
人生は小さな分岐点の連続で、それが積み重なると、思いもかけない場所にいたりする。
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僕の感電体験は、幼稚園のとき。むき出しの100ボルトケーブルを触って遊んでた。
感電。人類は一生に一度は体験してると思っていたが、意外にみなさん感電してないのね。あービックリ。・・・・しとこうよ、一回ぐらい。
イギリスで、口を感電したときは、さすがにきた。デッドボールを顔面で受け、ものすごくやるせなくなる感じだった。
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僕は親から「ああしろ、こうしろ」と言われた記憶がない。何か作ってるときはいつも横でゲラゲラ笑いながら見てた。「信道は面白いねえ」と言われた。僕が自己表現に多大なる自信があるのは、そんな親の愛情ある傍観のおかげだと思う。
そういや病院のベッドに寝てる親父から、「信道はアイデアで食いつないでるなあ・・・」と言われたなあ。
そうそう。アイデアを形にできれば、食ってけるのですよ、みなさん!
人間って巨大な思い出のかたまりだ。消えたときの喪失感がどっぷりとある。子供の思い出を一番持ってるのは親だ。だから親より先に逝ったらいかんなあ、と思った。
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人間は記憶というメモリーのおかげで、一度きりの楽しい出来事を思い出として何度でも追体験できる。素敵な機能。