機械論と情念

最近、読む本を選ぶのに背伸びし過ぎているかも。
でも、興味があるときに手に取るのが、華でせうか。
 無理と勘違いが、たぶんありありとそこにあるとしても。
 
最近、通読した本:

デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀 (講談社学術文庫)

デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀 (講談社学術文庫)

素養と頭脳の持久力不足で、ほーぼ読めていないのですが(おい)。
時々、記述の一部にぴーんと好奇心の糸がはじかれました。
 
西洋で近代合理主義が一気に花開いた17世紀。
デカルトホッブズスピノザ。ほぼ同時代を生きた哲学者3人。
序によると。三者に共通しているのは「機械論」だそうです。
 機械モデルがお気に入りのデカルト
 人と国家の関係をごく機械的に説いたホッブズ。個々人は物理的な痕跡連鎖の表象装置。
 スピノザは、人工物/自然物ひっくるめた全存在をハイパー機械にしてしまいました。(スピノザ難しい・・・。)
 
デカルト
コギト。高校の倫理で習っただけでは、合理性の権化。そのようなイメージをもっていましたが。
ずいぶんおもしろい人なんですねー。
 
 自身のなかの自らへの隔たり、としての機械論。
 自己存在の再帰的な決定。
 力の二元論。
 
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 情念を理性でしばき形にすることで納得する。
とおっしゃっている明和電機社長は。なんだかデカルトっぽい、とても。
と、ふと思いました。
(論考は抜きです、印象です♪