タウン情報誌

初めてタウン情報誌に触れたのは、高校卒業して研修施設の寮にいた頃。「ぴあ(関東版)」でした。
とにかく田舎育ちで何も知らなかったので。東京の電車にまずびっくりして。東京の街の広大さにびっくりして。
「ぴあ」にびっくりしました。
茶店で時間をかけて「ぴあ」を毎月熟読し、先輩から「そんなヤツいない」とつっこまれました。
独身の間TVセットは持たなかったので。タウン情報誌のみが貴重な文化的情報源だったのです。
 
着任した高松で読んでいた「タウン情報かがわ」。おもしろくて、これも熱心に読みました。『笑いの文化人講座』とか、はみだし、とか。四半世紀前の話です・・・。
うどんで有名な田尾さん(現吉本契約文化人の先生)が編集長でいらしたころです。
 
次の転勤先は松山で。そこで読んでいたのは「タウン情報まつやま」。
冊子先頭ページ近くに、全国的な話題が小さなブロック記事で編集されているカラーページがありました。
そこで、「明和電機デビュー」の記事を読みました。覚えている、ということは、かなり印象的だった、ということでしょう。
電気屋さんの息子二人が、愉快なアート活動をするんだ、おもしろいなっ。
と思った記憶があります。
いかんせん、地方住まいでしたので、その活動の全容と方向性がさっぱり解らないのが残念でした。
 
明和電機に関して、次に記憶が明瞭なのは、やはり情報誌系にまとめられた小さな記事。
明和電機の活動がアニエス・ベーさんに気に入られたこと、「魚コード」という製品を発売することが書いてありました。
1996年。大阪住まい。前年に阪神淡路大震災があって、半年後婚約して、'96年3月に結婚。4月には東京へ転勤になり、自分史上最大に忙しく、また責任ある職に突入した年です。
結婚してTVセットのある生活には入りましたが、深夜番組を見るような余裕は全くありませんでした。文化的空白の時代。
おもしろいなあと思ったから覚えているのですが、上記記事が何の雑誌掲載だったか思い出せません。
「魚コード」新聞広告も、該当紙を手にしているはずですがさっぱり記憶が在りません・・・。
 
(そして10年以上経った2009年。青天の霹靂(晴天の小雨?)、でtwitterからオタマトーン!でした。)
 
タウン情報誌の話題からすこしずれてしまいました;