第一面から見える景色(第1期)

明和電機ファンクラブ会報誌『電協ジャーナル』は、メールアートなのだそうです。
社長がどこかで仰っていました。(冗談…ではない思ふ。
 
入手出来うる限りの電協ジャーナルをゲットしたいな。
そんな野望?はあるのですが、果たせていません。たしか、過去のものも販売されていたと思うのですが。
 
・・・調べると、新しくなった公式サイトに載っていました。第7期からのものが販売されているようです。
http://www.maywadenki.com/denkyo/denkyo_faq/
 
か、買おう。注文しよう。近いうちに。20周年記念の一環で。(多分に私的だけれど。
 
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ソニー時代の電協ジャーナルも第一面が公式サイトに掲載され読むことができます。
http://www.maywadenki.com/denkyo/denkyo_journal/
せっかくなので、それら第一面を読んで気づいたことなどを簡単にメモしておこうと思います。
 
第1期(1994年3月〜1995年3月)
第1号。「明和電機月報」として始まっています。(意外なことに、一面に社長・副社長の写真も、誌名部を除くと「明和電機」の文字も見当たりません。) 契約後初の単独イベントとなる「新製品発表展示会」の概要案内。会場の案内担当コンパニオンは自重堂(現在もある作業服メーカー)のなっぱ服(現在のものに似ている)を着用とのこと。カブラヤ(弓魚3号)の開発スケッチ。主なニュースに「江戸川橋工場稼働開始」。
第2号。全国展開「新製品発表展示会」の開催場所日時案内など。社長・副社長の「XYポーズ」写真掲載。
第3号。新製品発表展示会東京会場の開催報告記事。故障、火災寸前、会場が実験の場・・・。(写真の社長と副社長が初々しすぎて泣ける。
第4号。新製品発表展示会広島会場の開催報告記事。ウケテルの金魚は広島三大祭の一つ「とうかさん」の夜店で買ったとのこと。
第5号。新製品発表展示会大阪会場の開催報告記事。
第6号。『プロダクト化製品第一号 魚コードか』。
第7号。なし(TT)
第8号。なし(TT)
第9号。社長&副社長年頭挨拶。「大アート展」でヲノサトルさんと大谷健太郎さんがゲスト出演とのこと。
第10号。来年度の予定。『美術界進出なるか』 「SWITCHED ON KAPPA」in 大阪開催に向けて阪神淡路大震災にちょっとだけ触れられている。この号で会長(ご兄弟のお父様)がご登場されたらしい。
第11号。1995年4月15日電協スタート。ファンクラブ開設の妥当性についてはモメにモメた。リピートユーザー確保が目的で開設。(ちなみに、それまでの「月報」はファンへ配布されていなかったらしい。