不可解2014

明和電機ジャーナル」に「世界の社長から」というタイトルの、社長が数10分かけてかかれていらっしゃる直筆をコピーしたA4両面のおたよりが同封されています。昨年度まであった「ファミリー通信」のあとをつぐもの。
社長がかかれるイラストがかわいいのです。時間をかけてない分、社長のペンの動きや息遣いまで感じる貴重なおたよりです。
 
今回の「世界の社長から」。テーマは『ひとり』について。
芸術の仕事は、『ひとり』で『内面を深く掘り』、核のような『不可解』を見つけることです、という内容です。
 
 明和電機の活動には、たくさんの人の力を借りてひっぱてもらうけれど。
 一般的なデザインやビジネスは、『不可解』を取り除きみんながわかる"解"をさがす活動だけれど。チームクリエイションすることもあるけれど。
 
それらと対比し、芸術活動は『ひとり』から出発する、と。
『内面を掘る』作業だと。
 
この、芸術家が求める『不可解』について、"メチャクチャ"や"狂気"ではなく、理性や論理によって見つける『今はわからない解』である、と説明されます。
芸術は『不可解のエンターテイメント』とも。 
 
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わたしは、世界や、自己の内側は、不可解に満ちていると感じています。
認識能力が追いつかないもの。意味をなさないもの。形を成しているとは思えないもの。
"不可解"はそこにあるばかりでなく。何かのきっかけで生成したり湧いたり拡がったりするやっかいなもの。
これは"メチャクチャ"とか"混沌"とかそういう言葉で表せる"不可解"や。兎に角まともな意味を成さない困ったつぶつぶや塊たち!という意味の"不可解"です。
 
当方がたずさわってきた仕事の多くにおいて、必要だったのはその"不可解"を取り除く作業、というよりは。
・・・"不可解"を蹴散らし、そこにまざまざと転がっている"不可解"を見ないように眼をそらし、"不可解"が新たに生じてもできれば知らないふりをして、なんとか進める。そんな感じ。
不可解の中から、確固とした解や成果が現れればいいんだけどな、ほんのすこしでも。と望みながらも。
 
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芸術家の『不可解』。明和電機社長が述べるところの『不可解』は、上記"不可解"とはまったく別物なのでしょう。
それでも。
 
自分の内面の『不可解』(『今はわからない解』)をさぐり深く自己を掘り下げる、という、とても疲れそうな(まちがって『狂気』を発掘してしまいそうな)怖い作業を、自らしたいなんてたぶん一生思わないでしょうし。
(つまり芸術活動を目指したりけっしてしないし。)
 
 他人の深い場所にある『不可解』に自分は興味がもてるかな?
 なんだろうって思えるかな?
 他人の『不可解』を共有し持って帰りたいと思えるでしょうか。
 
ありふれた凡庸な不可解ならいらない。
刺激量で勝負しているような、人にショックを与えることが目的のような不可解にはできれば触れたくない。
 
当方のように心が狭く硬直した人間に、芸術作品を鑑賞することは(どの程度)可能でしょうか。
 
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社長ブログから参考になりそうな記事:
 
科学か?芸術か?
『不可解というものがあれば、そこにコミュニケーションは生まれる』
http://www.maywadenki.com/blog/2010/05/14/post-4991/
 
不可解・・・について
『「不可解」を理解しようとし、なんとか意識のレベルまでひっぱりあげたのが、「ナンセンス」なんです。』
http://www.maywadenki.com/blog/2010/01/19/post-a2ab/ 
 
社長twilogを「不可解」で検索
http://twilog.org/MaywaDenki/search?word=%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%A7%A3&ao=a 
 
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今回の「世界の社長から」。
『今年はこの不可解にしっかり向き合う年にしたいですね!!』
と〆てあります。
 
社長がどのような『不可解』を掘り出されるのか。
それがどのようにイメージ化、製品化されるのか(されないのか)。
しっかり注目したいです。
 
そして、社長のいわれるところの『不可解』について。
もっときちんと考え、整理し、茫洋とでもいいから把握を目指したいです...。
 
ゲージュツの本質を内包している不可解...。
あこがれは、ちゃっかりしっかりあるのですから。
http://d.hatena.ne.jp/Fumiba_m/20121228/1356643033
http://d.hatena.ne.jp/Fumiba_m/20130926/1380143356
http://d.hatena.ne.jp/Fumiba_m/20130927/1380230405