「技術への問い」と

昨年手にした本のいくつかにハイデッガーの技術論が触れられていて、気になっていたため購入しました。
(帯の國分功一郎先生の言葉に引かれたというのもありますが。)

 
講演からおこすなどしたテクストが5編おさめられています。
うち次の3編は、それぞれ<素人>を含む聴衆に対して語られた講演から。想像以上に平明で、当方でも読了することができました。
 
「技術への問い」1953年11月、バイエルン芸術アカデミー主催連続公演の一環として@ミュンヘン工科大学
「伝承された言語と技術的な言語」1962年7月、実業学校教員のための講習
「芸術の由来と施策の使命」1967年7月、@アテネ学芸アカデミー
 
特にひとつめの「技術への問い」は、ナチス政権下での責任を問われ活動できない期間があった後、ハイデッガーが思想界への復帰を果たした講演だったとのこと。
明解な構成をもち、うっかりすると感動してしまいそうなテンポの良さと迫力があります。
(・・・当方はド素人なので、「伏蔵」とか「集立」などのなじみない言葉にややもすれば迷子になりましたが、それでも。
 
ざっくりいうと(明らかにざっくりしすぎですが)((しかも誤謬をふくんでいるかもしれませんが))(((おい)))、
『現代技術は制止できず、うまくいっているときでも必然としてその本質に危険を内包する。しかし「問う」ことにより叶えるもの(救い)の萌芽もあるだろう。』
という内容です。
 
そもそもはハイデッガーの技術論に興味があり購入した本ですが。技術と、知と、科学と、創造と。ヒントがたくさんある本でした。
また、意外にも芸術論に帰着していて、アートとは何かという問いかけのかなり手前でよろよろうろうろしている当方にとって<俺得>だったのでした。
 
引用:

技術への本質的な省察と、技術との決定的な対決とは、一方では技術の本質に近しいが、他方ではそれと根本的に相違するようなひとつの領域で生じる。
そのような領域が芸術である。

 
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5編目の「芸術の由来と施策の使命」。こちらも内容を敢えてざっくり一言でいうと、
『現代の人間は科学的・技術的世界に閉じ込められている。芸術行為を行うためには熟考せよ。』
 
解は示されない。でも、ハイデッガーが芸術という分野を敬慕する一方、それをめぐる世界の状況と未来を、科学技術の本質から現実的に深く射程距離長く見据えていることが感じられます。
 
こちらの講演には、「サイバネティクス」という言葉が出てきました。調べると1940年代の後半に提示された言葉だったのですね。
サイバネティクス…新しい言葉としてロボット関連分野などでよく聞きますが、実は何をさしているのかおぼろにしか掴めていませんでした。
Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
 
 
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明和電機社長ブログから
メディアアートゴボ天モデル(2009.07.10):
http://www.maywadenki.com/blog/2009/07/10/post-2e9a/