時間あれこれ: 線が時間を

先日、ICCで拝見したクワクボリョウタさんの「10番目の感傷(点・線・面)」。
(カント言うところの)直感の純粋形式である「空間」と「時間」。その二つを、感覚的にも理性的にも繊細に意識させてくれるポテンシャルをもった、素敵な作品でした。
 
点:
光を照射し影を照らし出す点。この作品の鑑賞者は、同時に、この「点」に対して自分の位置を仮想(錯覚)することになります。照らし出される光景は全て、鑑賞者の意識上、必然的にこの点の位置から見るものとして集約されるからです。
空間におけるこの点:模型車両が運ぶLEDライトが、出発(表現をもたらす物理的な源)と終点(鑑賞者の認識)という、両方の根源になっている。
シンプルで当たり前なのですが、改めて考えると、点光源による投影を見るっておもしろいですね。
 
線:
この作品において、線=点の移動するライン、は、空間に提示される一次元:文字通りの「線」としての意味よりも、時間表現の制御項として活躍しています。新鮮です。
そして、このラインが鉄道模型のレールであることが、鑑賞者の詩心を秘かにくすぐるのかもしれませんね。
 
面:
照らし出された影=面は映像を構成します。
線上を移動する点によって照射された面は、絶え間なく形や大きさや濃さを変え、エッジのシャープさを瞬間だけ見せながら移動、移り変わっていきます。
面とその変化、つまり投影される動画シルエット映像が、この作品の意図を表出する主役です。
 
「点」の役割の二重性。「線」が時間を構成するシステムの合理性と詩情。空間にも時間にも配慮した「面」表現のアイデア
 
・・・以上は、後であーだこーだ考えたことで。
この作品が展示されている部屋で体験したのは。もちろん、そんな理屈抜きで浸った幸せな「時間」でした。

ワクボリョウタさんの作品「10番目の感傷」を体験した印象・・・照らし出され変化していくシルエットの柔らかいトーン、を思い出しながら。再生紙に2B鉛筆。PCで加工。