欠損してゆく感情?

電協ジャーナル最新号の社長インタビュー。
EDELWEISSシリーズ再パッケージ化に触れたところで
「感情を犠牲にして作っていた」
という表現がありました。
それが気になって仕方ありません。。
 
創作に取り組むために、感情を犠牲にする。
というのは、尋常な想像を越えています。
 
感情は、意外に簡単に「傷つく」し。
感情を「抑えたり」「殺したり」することはあるけれど。
たちまち生還してくる当方の感情。
わたしは、肉体の上でも精神の上でも、苦痛は大の苦手。苦痛をもたらすような事柄からは、普通、無意識に逃げ回ります。
 
感情を犠牲にする・・・。
あまり用いられるのを見ない表現だからでしょうか。
恐ろしく大変なことであるように・・・感じます。
 
感情を犠牲にして、創出活動を行う。
理性と感情の間で何が起こるのでしょう。その境地は全くよくわかりません。だけど。
そんな脳内作業?を続けていたら、主体が著しく損なわれてしまう気がします。
 
・・・あ。そういう危険が表出してくるため、封印されていたのでしょうか、EWの世界は?
 
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電協ジャーナルのその箇所を読んでいるとき、顔を上げると眼に入る傍らのPC画面では、折しも石黒先生が、「人に心はあるだろうか」「心とは何だろうか」というつぶやきを続けていらっしゃっいました。
 
 自分の心はどこにあるのだろう。
 それは確固としたものだろうか。
(いや、そうは感じられない)
 ただ、夕焼けを美しいと感じるのはなぜだろう。
 

花の形をしたナット。イラレの3D効果をつかって。フォトショで調整ちょっと追描。