声の「機能性」と「呪術性」

オタマトーン・フェア@明和電機アトリ工。WAHHA GOGO とセーモンズさんが、会場奥、スクリーン両脇にたたずんでいました。
以前、ネットでどなたかが書かれているのを読み、どうなのだろうと興味深く思い、頭の片隅にひっかかっていることがあったのですが。
なるほど・・・。二体をこうして見ていると、仏像的なものとして感じます。
「ご本尊」ではなく、脇を固める者たち?
きょうは声をお出しにはならないのですか。とこっそり二体にごあいさつ。
 
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明和電機ボイス計画」説明に際し、社長は、声の「機能性」と「呪術性」について述べられています。
社長ブログ:
http://maywa.laff.jp/blog/2010/05/post-8b48.html
 
書かれていることのうち、楽器や明和電機‘魚器’の持つ「機能性」と「呪術性」については、すんなり理解できます。
楽器や‘魚器’は、形あるもの。「機能」の部分とそうでない部分を、切り離して認めることができますから。
 
でも、声には形がありません。
声の持つ「機能性」。多分それは、声が意味や意思の伝達に用いられるということ。あるいは音階を表現するということ。それらを情報として載せている、ということでしょうか。
 
上記ブログでは、楽器や‘魚器’で分離していた「機能性」と「呪術性」が、人工声帯というバイオメカニックなしくみにより統合され、セーモンズの放つ歌声そのものに「呪術性」が含まれた・・・というようなことが書かれています。
 
声の持つこの「呪術性」がどのようなものなのかが、わたしには理解しにくいのです。
声という音声に含まれる、宗教性を感じさせるもののことでしょうか? 民俗学の領域にあるもの? 理性を超えて立ち現れてくるもの?
 
ブログを読み進めると、声の「呪術性」は、人間の生理的な反応を呼び、感情に得体のしれないものとしてうったえる音質にある、と読み取ることができます。
 
社長はそれらを説明したうえで、呪術性の復活を目指す楽器をつくりたい強い思いがあり「ボイス宣言」を発表した、と述べられているのです。
つまり、社長が2012年完成を目指す「歌うロボット」は、「呪術性の復活を目指す楽器」である?
うーんうーん。このあたり、当方のハム脳が言葉と意味を拾い足りてない感ありありです。
 
先月のチャリ楽器のワークショップの動画配信を見ていて、本筋を離れとても印象的だったこと。
明和電機」製品に現れる「顔」の話題から、『能面師がこの辺にいるかも。』とおっしゃりながら、社長はご自身の頭の後ろをぐるぐると指されました。
顔、つながりで、能。・・・地謡。能も、声のもつ呪術性に強くつながりそうですね。
(残念ながら伝統芸能に全く疎く、ハム頭ではきちんとつなげることができません。)
 
声のもつ「呪術性」という抽象を、そもそも合理的なタチの現代人であるわたしは、きちんと感じられているのかな。
 
セーモンズさんの声の持つ呪術性。
DVD「メカトロニカ」を見ていると。セーモンズさんが歌いだすシーンで、夫はたいてい手を休め、それまでとは違うレベルで引き込まれ画面を見ています。
夫、呪術にかかっているのでしょうか?
 
セーモンズは、見事な「歌うロボット」です。
社長は、そこにとどまらなかった。さらにそれを越えて新しいものをつくられようとしている。
形、そして何よりも、発する音声に「呪術性」を追求することで・・・。
また、「機能性」についても、言葉というさらに高度なものの表現をめざしていらっしゃいます。
その「機能性」と「呪術性」は独立するのではなく、彼女の内で関係を持って統合されるべきであり・・・。
 
orz。声の「呪術性」については課題が多いわー。
心に留めておいて、ぼちぼち考えていこうー。
 
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思い出しました。WAHHAGOGOの紹介動画。

説明する社長の声。「呪術」の粉がすこしきらきらまぶされているよう(*^^*)。そう感じるのは、わたしだけ?